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テニスLB面白半分日記 LB(レーザービーム)は所属サークルでの通称。周囲(サークル仲間)からは嘲笑されているにもかかわらず、うぬぼれ屋の本人は気に入って自称しており、自己中心的な戦歴を勝手気ままに記載している。

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090416 小市民日記

 今日は大阪出張。伊丹空港に降りた時点で、いつもながらた~らた~ら、だらっととした雰囲気がいい。日本のアジア。帰りは羽田経由で海浜幕張に着いた。ベイタウンまで空港バスにのるつもりだったが途中下車して、駅前の「やまと」へ。ちらっとのぞくと満席。相変わらずの繁盛振り。立地もさることながら、値段、ネタのよさからリピーターが多い。又、場所柄海外からのお客さんも多いが、スタッフも普通に英語で応対しているところが隠された繁盛の秘訣、少しはずれたにぎり屋「藤次」の健闘を祈る。
 今日の途中下車は深層心理的には昨夜読みふけった「コミック 大市民日記(柳沢きみお)」の影響と推定。主人公エッセイストの山形鐘一郎(58歳、妻子持ち、だが作家ゆえ?アパートに一人暮らし)が世相を嘆きつつ、延々と毎回酒と美食を語る、ただただそれだけの内容。このブログの構造とそっくりで苦笑。こんな筋書きのないコミックもめずらしい。その山形は前菜、鍋、寿司、うどん等B級?日本料理の大家で、ビールは小瓶しか飲まないというこだわり派。昨日山形が寿司屋のはしごをしているのが今日のヤマトへのトリガー。やまとでは最初純米酒で生牡蠣。レモンともみじおろしが主役をひきたてる。続いて、秋なら松茸の土瓶虫蒸しだが、今日がサザエのつぼ焼き。コリコリした歯ごたえのサザエの身もたまらないが、やはりメインはあのねっとりとした苦味がたまらない。お腹がへっていたのですぐに握り「貝尽くし」。値段も1000円を切りリーゾナブル。思い返せば、青森県 三沢の名産はホッキ貝で、東京に来る前の三沢時代には休みには朝テニス→昼温泉(家から歩いて3分)→温泉の帰りにスーパーでホッキ貝造ってもらって→遅めの昼飯と田酒(日本酒)→昼寝のはずがもう夕方で、しょうがないのでワインを飲みだす、という形容のしようがない悠然たる10年。もともとの怠け者に拍車がかかり大都会東京の生活には「ゆとりがないなあ」と感じるところは主人公山形と同じ。最後にもう一合、トロの刺身でやっつけて9時過ぎに帰宅。プレナ(海浜幕張の南、さびれましたなあ)で借りてきた、まだ読んでなかった21世紀少年(上下)を読み終えて、ワイン飲みながらぶろぐに向かっているところ。今日も皆さんお疲れ様でした。さああと一日、そろそろ寝ますか。
 
日記 | 投稿者 LB 23:45 | コメント(3) | トラックバック(0)

090415 葉隠

 武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。図にあたらぬは犬死などという事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて。図に当たることのわかることは、及ばざることなり。我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし。若し図にはづれて生きたらば、腰抜けなり。この境危うきなり。図にはづれて死にたらば、犬死気違いなり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めて死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生超度なく、家職を仕果すべきなり。
(訳)テニスの本質は、ぼろぼろにめった打たれることだと知った。つまり、勝つか負けるか、いずれを取るかといえば、早く負けるほうを選ぶということにすぎない。(脚注:この点ひげおやじは試合では勝てないが素晴らしい。いつも参戦してスカッと負けくる)試合にこれといって、めんどうなことはないのだ(せいぜい、あいつはやっぱりへたくそだ!と皆に言われるだけ)。腹を据えて、よけいなことは考えず、試合に集中するだけ。「自分の思ったテニスができなければバカだ」などというのは、「ちばらき」や「ださいたま」(千葉、茨城、埼玉と東京)の格好ばかり重んじる打算的テニスといえる(マリンの主流)。
 とにかく、二者択一を迫られたとき、ぜったいに正しいほうをえらぶということは、たいへんにむづかしい(普通は間違う)。人はだれでも、テニスの試合で負けるよりは勝つほうがよいに決まっている。となれば、多かれ少なかれ勝てないと怖気づいて試合から逃げるほうに理屈が多くつくことになるのが当然のことだ(葬式だ、結婚式だ、集まりがある、仕事がある、体が痛い、知り合いが病気だ)。試合に出ることを(いやいやあきらめて)えらんだとして、それがもし負けるに終わってなお次の休みに南コートに行ってもただ仲間から腰抜け、へたくそと軽蔑されるだけだ(そもそもそのとうりなのだから恥じる必要もない)。このへんがむつかしいところだ(編者脚注:むつかしくなんかない。試合に負けて家族や一族郎党が切腹、打ち首になるわけではない。だからへたくそでも思うようにテニスをして負けるが素晴らしい。決定権のある藩主(クラブオーナー)も同じで率先垂範。思いどうりに試合が出来れば、負けて後悔するはずもなく、もし後悔するような試合しかできないなら試合に出るな!)
 ところが、死をえらんでさえいれば、事を仕損じ死んだとしても、それは犬死、気違いだと軽蔑されようと恥ではない、つまり外野(くちゃくちゃ理由をつけて試合から逃げる腰抜け)のいうことは相手にしない。これが、武士道(勝負)の本質。とにかく、武士道をきわめるためには、朝夕くりかえし死(負け)を覚悟することが必要なのである。つねに死を覚悟しているときは、武士道(勝つ方法)が自分のものとなり、一生誤りなく自分の思い道理どうりにテニスの試合ができるというものだ。
日記 | 投稿者 LB 00:52 | コメント(0) | トラックバック(0)